令和7年3月26日に逝去された正林真之さん(正林国際特許商標事務所前所長)には、私が知財業界に関わってきた約30年にわたりお世話になった。
私が正林さんと初めて出会ったのは、1990年代後半である。正林さんは弁理士になって間もない頃で、私はインターネット特許情報サービスを立ち上げた頃だった。ある時、弁理士の間で、インターネット特許情報サービスの勉強会が企画され、その世話役が正林さんで、私は事業者の一人として説明を求められた。
当時は、弁理士が希少な資格で、言葉を選ばずに言えば弁理士は「偉そう」にしていた。弁理士から見れば、私は単なる業者の説明員であり、勉強会に参加していた弁理士の多くは、私にその様な態度で接してきた。私が、会場の端の椅子で説明の出番を待っていたところ、お茶を持ってきて、丁寧な挨拶の言葉をかけてくれたのが正林さんだった。周囲の弁理士と振る舞いのコントラストが印象的で、今でもその情景をよく覚えている。
私は、事業の傍ら弁理士を目指して勉強していた。予備校の世話にならなくても、独学で合格できると高を括っていた。しかし、不合格が続き、観念して予備校の論文講座を探した。当時、弁理士の予備校は、Y塾が全盛期であったが、論文講座は平日しかなかった。平日は仕事が忙しかったので、弁理士の予備校としては新興だったL社が休日にオンライン講座を行っていることを知り受講することにした。その講師が、W社で実績を上げL社に移った正林さんだった。
正林さんの講座は、ポイントが分かりやすく、断定表現の解説によって、受講者に迷いを与えないものだった。幸いにも、私は正林さんの講座を半年受講して弁理士に合格できた。弁理士に合格すると、お世話になった講座の後輩受講生の答案を添削する習わしだった。正林さんの講座は人気があったが、合格者がまだ少なく、私を含め少人数で手分けして添削した。毎週、打ち合わせで、設立したての正林さんの特許事務所のある池袋のマンションに通った。因みに、弁理士法人正林国際特許商標事務所の現所長である林一好さんも受講生の一人で、しばしば優秀答案として選出された。
事業でも、正林さんとは、いろいろ取引させていただいた。たとえば、私の事業のユーザになっていただいたり、他方で、正林国際特許商標事務所からは、海外の法改正情報の提供をいただいたりした。
正林さんのアイデアで、一緒に立ち上げた事業もある。返金保証付き先行技術調査サービスである。先行技術調査とセットで特許出願を依頼した場合、調査結果に基づき出願した結果、拒絶査定になったときは調査料や明細書作成料を返金する、というサービスである。法的に問題ないか特許庁に確認の上、私の会社で窓口をすることになり、画期的なサービスとして新聞に掲載された。
正林さんの発想がすごいところは、「早目に返金の実績を作りたい」と言い出したのだ。私の様な凡人の発想だと、拒絶査定になれば損失が出る、と心配してしまうが、正林さんは返金実績に宣伝効果がある、と読んだのだ。
因みに、この事業の顛末(オチ)としては、企業からは、「そんなに先行技術調査に自信があるのなら試してみたいが、何年か経ってから返金されても経理処理が厄介だから、返金保証はいらない」という反応だった。
印象に残っている正林さんの言葉を紹介したい。
私は、今は特許事務所を経営しているが、以前経営していた会社の業務、特許情報サービスや管理システムの販売、知財コンサルなどにおいて、弁理士の資格は不要である。ある時、正林さんに、弁理士の試験勉強は知識整理に役立ったが、資格自体は私の事業に必要ない、といった趣旨の話をしたところ、「資格を取得すると、分からないことを堂々と分からないと言える」と言われた。確かに、私は弁理士に合格するまで、顧客等から聞かれたことは、何でもその場で答えようとしていた。拙速に答えようとすると稚拙な内容になってしまう。
また、正林さんは、「一事が万事」という諺を、人の行動に対する評価として、よく口にされていた。「ちゃんとした人は、何でもちゃんとやりますよ」といった発言もよく聞いた。正林さんと私は、たわいない会話をしながら、フランクな付き合いをさせていただいたが、依頼された仕事に関して、手を抜くことは一切なかった。「一事が万事」という信頼関係の根底にある正林さんの考えが無意識に作用したに違いない。
正林さんから、亡くなる少し前に電話がかかってきた。「もう峠は越した」と仰っていたので、突然の訃報が信じられなかった。依頼をされてまだ十分に応えていない仕事が残っている。手を抜くことなく対応させていただくので、引き続き見守っていただきたい。
心よりお悔やみ申し上げます。