第6次知財ブーム(その1)

 2022年44日からの東京証券取引所の市場区分再編を見据えて、2021611日に改訂コーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)が発表された。「知的財産」の表現が初めて盛り込まれ(補充原則3-1③と4-2②)、関係者は慌ただしくなっている。

 これを契機に第6次知財ブームが訪れようとしている。今回を第4次ブームとする説もあるが、大きな波が来ていることについては知財関係者の間で認識が一致している。

 「ブーム」とは、広辞苑によれば「ある物事がにわかに盛んになること」とあり、英語の「Boom」は、日本語にすれば擬音語の「ブーン」や「ドカン」などの爆発音にあたる。

 本コラムでは、これまでの知財ブームを振り返り、各ブームの後に定着した事象を考察しつつ、第6次知財ブームが産業界へ与えるインパクトについて予測したい。

 

最初の知財ブームは特許庁のペーパーレス化から

 日本での知財制度は明治18年の専売特許条例から始まるが、昭和の末期までは、特許や商標は企業の特許部や特許事務所などのごく一部の専門家が扱っていた。1990年に世界で初めて日本の特許庁が電子出願システムを実現し、1993年から電子公報が発行された。 

 それまで、オンラインでの特許情報サービスは特許庁の外郭団体のみが行っていたが、CD-ROMで電子公報が発行され、民間企業でも扱えるようになった。その後、インターネットの普及により、インターネット特許情報サービスが出始める(1996年に野村総合研究所が日本初のインターネット特許情報サービスを開始)。

 特許情報が安価に簡単に入手できるようになり、研究者や開発者などが特許情報に直接アクセスできる環境が整ったことで、特許情報ユーザーの裾野が爆発的に拡大した。

 特許庁が管轄する特許・実用新案・意匠・商標の登録された権利は、工業所有権と呼ばれていたが、文化庁が管轄する著作権などを含めて知的財産権あるいは知的所有権と表現するようになり、知的財産の略語である「知財」の表現が巷に広がった。

 この様に、最初の知財ブームは、特許庁のペーパーレス化が火付け役であった。

 

ビジネスモデル特許ブーム

 1998年、米国にて投資信託の運用に関するビジネスモデルの特許の有効性が認められ、「ハブ・アンド・スポーク特許」と呼ばれ話題になった。その後にアマゾンのネットショッピングに関する特許が「ワンクリック特許」として有名になった。

 日本でもサービス業に関する特許出願が増え始め、2000年に当時の住友銀行の仮想口座に関する特許が成立するなど、一大ブームが巻き起こった。この銀行の特許は、出願公開前にいきなり特許になったことや、多数の特許異議の申立てがあったことでも話題になった。

 これが第2次知財ブームであるが、ビジネスモデル特許ブームは、他の知財ブームと切り離してそれ自体が単独のブームといえるかもしれない。それまで特許出願人は、主に製造業であったが、金融や保険、その他サービス業まで特許出願するようになった。このブームによって、出願する企業の業種は格段に広がった。

 ブーム当初はビジネスモデルそのものが特許になるかの様な誤解によって出願が増加し、混乱があったが、その後の特許審査基準の整備によって落ち着いてきた。現在日本特許庁では、ビジネス関連発明に関する動向や統計情報を定期的に発信している。

 

小泉元首相の「知的財産立国宣言」

 2002年、小泉純一郎首相が国家戦略として「知財立国」を掲げる。知的財産戦略本部が立ち上がり、知的財産推進計画が策定され、2005年には知的財産高等裁判所が設置された。知的創造サイクル(創造→保護→活用→得た資金でまた創造)の考え方は、多くの関係者の腑に落ちた。国家の知財戦略は「知的財産推進計画2021」として引き継がれている。

 時期は知財立国宣言より少し前になるが、TLO法(大学等技術移転促進法)の成立により、産学連携の環境が整備され、公的機関の特許出願が増え始めた時期でもある。大学において特許より論文が長年重視されてきたが、特許も教職員の評価項目とする動きがみられた。

 また、2005年には、「松阪牛」(商標登録第5022671号)の様な地域ブランドを保護するため商標法が改正された。なお、特許庁が管轄する商標権は、特許権等とともに工業所有権と呼ばれてきたが、2002年に策定された知的財産戦略大綱で産業財産権に改められている。

 これらの出来事を第3次知財ブームとすれば、このブームは法整備など政府主導だったといえる。

 

知財ブームが産業界にもたらしたこと

 知財ブームの前半を振り返ると、第1次ブームから第3次ブームにかけて、大手製造業を中心に、特許部から知的財産部に改称する動きが広まる。それまで新卒採用で特許部を配属希望する学生は皆無であったが、知的財産部になった途端に希望する学生が増えた。当時、日経新聞社のコラムにも書いたが、土木工学科から環境都市工学科に改称したら女子学生が多数受験するようになった学校の様に、組織名の響きや印象は重要である。

 本来「ブーム」とは、その語源から一過性の物事を意味する。身近な例でいえば、第3次タピオカブームはピークを過ぎ、元の状態に戻りつつある。しかし、各知財ブームは、過ぎた後も、関係者の関心の広がりが完全に元に戻ることはなく、一定の定着が観られる。そういった意味において「知財ブーム」という言い方は正しくないかもしれない。

 海外に目を向けると、パテントトロールといった事業を行っていない者が特許を取得し、高額な特許侵害訴訟を仕掛ける問題や、中国の特許出願が急速に増え始めた時期でもある。

 次回コラムでは、後半の第4次~第5次ブームについて振り返り、第6次ブームの行方を予測する。

 ※本コラムはサイバーパテント株式会社のHPとクロスポストしております。

高野誠司