契約の立場が激変 ~レピュテーションリスク回避の潮流~

 かつて、ビジネス上の契約書において不平等な条項をしばしば目にした。大企業と中小企業との間、特に大企業が対価を支払う側の場合、その傾向は顕著であった。その悪しき商慣習が、ここ数年で大きく変化している。立場が逆転したといっても過言ではない。

 

数年前までの大企業との契約交渉

 私は以前、知財情報サービスや知財管理システムを提供・販売する会社を経営していた。契約相手は、大手製造業の知財部門が多く、その様な組織は法務体制が整っている。私は、交渉の初手として、相手から契約書案を受け取る前に、先手を打って契約書案を提示するようにしていた。

 PDFファイルで契約書案を送付すると、相手の最初の反応は、「Wordファイルで再送してください」である。相手は修正する気満々である。契約交渉は、難航することもある。「うちと取引するのであれば、この修正案でお願いします。」といった旨のメールとともにWordファイルが戻ってくる。Wordファイルを校閲モードで表示すると、真っ赤に修正が入っている。

 たとえば、契約違反が生じた際の損害賠償額について、上限額を設定した契約書案を示せば、相手から上限が外され、賠償額が青天井の修正案が提示される。なんとか「故意または重過失」に限って青天井として折り合いをつける。紛争の際の管轄裁判所については、相手の本社に近い地方裁判所が指定される。平等の観点から「被告の本店所在地を管轄する地方裁判所」で折り合いをつける。さらに、「うちと契約すれば宣伝になるでしょ」といって極端な値引き交渉も営業窓口を経由して入ってくる。

 

国の政策や生成AIで潮目が変化

 ところが、最近の大企業の契約スタンスが変化してきている。契約書案が無修正で通ることが多い。弊所は東京を拠点としているが、地方の大企業との契約書であっても、管轄裁判所が東京地裁のままで通る。損害賠償額の上限についても修正が入ることはない。

 ときには、対価を受ける側に有利な内容の修正案が提示されることがある。たとえば、コンサル契約において、報告書納品後に対価を請求することは当たり前と考えていたが、相手から前払いに変更させてほしいと依頼がある。

 この様な背景には、「下請代金支払遅延等防止法(通称:下請法)」が、「中小受託取引適正化法(通称:取適法)」へ改正・改称され20261月1日に施行されたことや、公正取引委員会の「優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方」が2026617日に改正されたこと、中小企業庁による契約書ひな形の提供など、国の政策が功を奏していると考える。

 また、生成AIを活用した契約書チェックツールの普及により、法務体制が脆弱な中小企業やフリーランスが、リスクのある条項を特定し、交渉材料を入手しやすくなったことも後押ししていると考えられる。

 

大企業の拘りは知財と反社

 大企業が契約交渉で中小企業をやり込めたとしても、いざ争いが生じて、法廷で裁判官から不平等契約を指摘されることも考えられる。仮に勝訴しても、「中小企業イジメ」として評判を落とすことになりかねない。

 それでも、大企業にとって契約上譲れない方針や拘りのある条項が2つある。①成果物の知的財産権の取扱いと、②反社会的勢力の排除への対応である。他にも拘りはあると思うが、最近私が業務で経験した大企業の強い拘りは、主にこの2点である。

 まず①について、業種にもよるが、大手製造業にとって、知的財産に関わる争いは珍しくない。痛い目にあった教訓は個社によって異なり、そういった経験は、新たな取引先の契約交渉にも影響を与える。「知的財産の取扱い」や「権利の帰属」の条項の修正要請は個社によって様々なケースがある。ただし、以前の様に中小企業やフリーランスにとって極めて不利な修正案が出てくることはなくなってきていると推察する。

 次に②について、反社会的勢力の排除への対応は、修正依頼というより、関連条項をまるごと入れ替えてほしいといった要請がある。そして「文言の修正には一切応じない」とする企業が多い。ただ、「甲と乙が平等の規定としている」とも書き添えられている。

 企業規模が大きくなればなるほど、取引先や役員等は多くなり、関係者が反社に該当しないことを表明することは、統計的に考えれば困難になるはずだ。加えて、過去に遡って反社と関わりがないことを相互に確約する条項を望む大企業もある。反社会的勢力を排除するためには、一切の関係を遮断し、毅然と対応する大企業としての責任と強い覚悟の表れであろう。

 

フレンドリーな契約でブランド向上

 サプライチェーンや協業関係は大手製造業にとって重要な無形資産であり、取引先を大切にすることは、ひいてはブランド価値の向上につながる。企業間の取引であっても、優越的な地位を振りかざせば、相手企業の従業員やその家族にまで悪い噂は広がる。巡り巡って、自社に関連する最終製品の消費者から、あるいは採用活動で学生から選ばれない企業になってしまう。

 大企業による不平等な契約には、レピュテーションリスクがある。であれば、最初から公平でフレンドリーな契約書にした方がよい。もちろん、契約はビジネス上重要であり、後々揉めないよう、用語を定義し、業務を特定し、契約期間や金額などの条件を設定するために、ある程度の交渉は必要になる。適法かつ平等の精神の下、譲れない拘りがあってもよいと思うが、最終的にレピュテーションリスクがあって行使ができないような条項に拘る価値はない。

 日本の産業界全体において、契約交渉で無駄な時間を費やし、使いもしない条項で神経をすり減らすことがないようにしたい。我が国の産業の持続的成長に向け、企業規模や立場に関係なく、気持ちよく協力しあって業務に邁進できるよう、この円滑な契約の流れが元に戻ることなく維持されることを願っている。

 

弁理士 高野誠司